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秦家住宅−昭和初期

秦家住宅

 秦家住宅は、元治元年(1864)におこった元治の戦いによって焼失後、明治2年(1869)上棟された「表屋造り」の京町家です。
 表構えは間口が5間、南側三間半を厨子2階建。2階には額縁付きのむしこ窓を開き、北側1間半は下屋庇付きの平屋建。 二階むしこ窓の前には屋根付きの大きな看板を掲げている外観は 下京の伝統的商家のおもむきをよく残しています。表家、玄関棟、住居棟、土蔵(中庭・奥庭を含む)は、京都市有形文化財登録になっています。
   
〜秦家住宅の建つところ〜

 

油小路通

秦家住宅-外観

 ■京都・下京(職住共存地区)

近世の「下京」と現在の「下京区」は必ずしも同じ範囲ではありませんが秦家住宅の建つ下京区太子山町は500年前(16世紀)にはこの地にありました。 太子山町周辺は白生地、染め抜き、型染め、黒染め、染み落とし、刺繍、手書き友禅など和装関係を業とする家々が集まっている職住共存地区。観光都市京都とはかけ離れた普通の京都の人々の暮らしが息づいているところです。

  1200年前、都のおかれた京都に「下京」と呼ばれる区域が現れたのは今から600年前(15世紀ごろ)。 その後、応仁の乱(1467~1477)で荒廃しますが、やがて復興しその域を広げて都市として発展してきました。

  幾度となく改変され続けてきた京都ですが、東西南北に整然と敷かれた碁盤の目の通りは、豊臣秀吉によって町区画の改造を行なわれました。  平安京から残る碁盤の目と云われる 町中の大路、小路、その土地、町割りはほぼ 正方形を形づくっていましたが、秀吉はその 中に南北に一本の小路を新たに入れます。

 この都市改造が今の町家を生み出したと云え ます。それまでの正方形区画だと奥まった 中心部に空き空間が生じていましたが、 短冊形になったことで土地を有効に利用できる こととなったのです。 そして、それが”鰻の寝床”と云われる間口が 狭く奥行きの長い京町家が誕生することとなり ます。

   
太子山

■山鉾町 太子山町

 7月、鉾の辻を静かに流れる祇園囃子の音色を鉾町に住まう私たちは親しみを込めて「二階囃子」と呼んで山鉾の巨体が通りに現れるのを心待ちにします。
太子山町は鉾町では一番西の端に位置している「太子山」という「山」の出るお町内です。ここに住んでいる家々は皆八坂神社の氏子。祭りの期間中は仕事を休んでも祭りに関わることを優先する心意気は今も健在です。

太子山  

京都秦家 〒600-8469 京都市下京区油小路仏光寺下ル太子山町594番地 TEL/FAX:075(351)2565  mail2565@hata-ke.jp

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