秦家住宅について

秦家住宅は、元治元年(1864)におこった元治の戦いによって焼失後、明治2年(1869)上棟された「表屋造り」の京町家です。

■京町家「表屋造り形式」 京都市有形文化財登録

 表構えは間口が5間、南側三間半を厨子2階建。2階には額縁付きのむしこ窓を開き、北側1間半は下屋庇付きの平屋建。 二階むしこ窓の前には屋根付きの大きな看板を掲げている外観は 下京の伝統的商家のおもむきをよく残しています。

「表屋造り」とは、商いをする「ミセ」のある表棟と住居棟のあいだに中庭、奥庭の二つの庭が配された間口を五間以上有する「大店」タイプの京町家を指します。

■京都・下京 職住共存地区

近世の「下京」と現在の「下京区」は必ずしも同じ範囲ではありませんが秦家住宅の建つ下京区太子山町は、500年前(16世紀)にはすでにこの地にありました。
太子山町周辺は白生地、染め抜き、型染め、黒染め、染み落とし、刺繍、手書き友禅など和装関係を業とする家々が集まっている職住共存地区で、今も京都の人々の暮らしが息づいているエリアです。

■祇園祭 太子山町

太子山町は鉾町では最も南西に位置してる「太子山」という「山」を出すお町内です。7月、鉾の辻を流れる祇園囃子の音色は親しみを込めて「二階囃子」と呼んで山鉾の巨体が表通りに現れるのを心待ちにします。

■家業のこと

秦家が薬種業を創めたのは、元禄13年(1700)。
寛保3年(1743)に没した初代松屋與兵衛を竒應丸元祖として創業以来、昭和61年(1986)まで12代、小児薬「竒應丸」の製造卸業を商ってきた商家です。